精神の闇
体調不良で長く休んでいる絵梨ちゃんから
職場の私に電話があった。
「今から…現場に…行ってもいいですか?」
体調不良でお休みが続き、
「一度きちんと直してね。」と、
二月の後半に一ヵ月後の出社を約束して
正式に長休を取らせたものの
期間中にメールの返信はなく、
リアルタイムで電話がつながったことはない。
こちらからの連絡に二度ほど
時間を置いて折り返し電話が来たが、
話し方も非常に不安定で
体調不良の原因は、
精神的な部分が大きいことは理解していた。
そして次の出社を約束した日から
すでに3日が経過。もちろん連絡はない。
皆に愛されていた若くて模範的なスタッフさんで、
契約社員の出向現場としては
異例の「一ヶ月休養&契約続行」の了解を
企業さん側からもらったのに、
その善意に答えられない結果となる気配が濃厚になると
私は敢えて深追いする気持ちにはなれなった。
最善の努力を尽くしても、
過去体調不良に陥って復活できた人はいない。
一ヶ月待っても状況が変わらなければ、
このままフェイドアウトしていくのが
誰にとっても一番いいのだ。。。。
* * * *
「絵梨ちゃん、このままだと企業さんから
交代のオーダーが出ちゃうよ?」
「ツライかも知れないけど、頑張って連絡だけでも頂戴。」
「本音で言ったら、這ってでも出てきて欲しいのね。」
たぶん反応はないだろう…と結構キツメの口調。
最初から期待もせずに入れた留守電メッセージを聞いて
まさか翌日、彼女がフラフラのまま
現場に現れるとは思わなかった。
そして、その顔をひと目見て「ヤバイ!」と思った。
普通の人の顔じゃなかった。。。。。。。
* * * *
ひとことで言って、尋常じゃない。
ずっと下を向いている。
呼びかけるとスローモーションのように顔を上げるけど
視線は合わず、瞳が魂とリンクしているとは思えない。
抜け殻のような無表情。
話は出来るが、か細くたどたどしくろれつが回らない。
すぐに下を向き、知的障害者に良く似たそぶりで、
目線を斜め下に落としたまま
いつまでも何かをじっと見つめている。。
私は、今この絵梨ちゃんを
“出来るだけ他の人には見せたくない!”
と、何故かとっさにそう思い、
すぐに現場から連れ出して、
自分の車で契約元の会社のオフィスに向かった。
* * * *
私はいいんだ。
先週たまたま居合わせた、
接触事故で転倒したバイクの女性もそうだった。
ショックによる放心状態で、
たぶん一部始終を覚えていないだろう。
寝ぼけ癖があったうちの次男も、
深夜に起き出すと似たような表情だった。
(母親でありながら、一瞬背中がゾッとした。)
家族がいて職歴があって、
様々な日々を過ごしていれば多少のことでは動じない。
けれど、私よりもずっとずっと若い
職場のスタッフ達がこれを見たら
誰もがショックを受け、心穏やかならぬ…
そう、言いようのない不安を抱くだろう。
すでに、ここに来るまでにすれ違った2,3人の目撃情報から
「絵梨ちゃんがヘンだ…」という職場内メッセンジャーが
LANの中を駆け巡っている雰囲気を背中で感じる。。。
「この人はもう職場に入れちゃイケナイ。」
そう思いながら、無言のまま彼女を車に乗せて
契約会社のオフィスに向かった。
車内での世間話も続かず、
絵梨ちゃんはゆっくり頭を動かして
窓の外の景色を不思議そうな表情で見回していた。
* * * *
絵梨ちゃんが高熱を訴えて三日連続で休み、
四日目で連絡が来なくなったときに、
私は非常に嫌な予感がした。
今まで幾人か対応してきた
体調不良によるリタイヤ者の特定パタンーだったからだ。
「でも、さっき本人から電話があって、
『来週からは出られる』って言ってましたよ?」
という、現場からの報告はますます私に確信をもたらした。
そういった連絡がある事もまた、
何度も見てきたケースとまったく同じものなのだ。
私の担当はある程度のスキルを必要とする
某社某サービスの故障調査受付窓口だが、
タイトな研修をする部門に配属されて
厳しいダメ出しを受けたり、
激怒するお客様から攻撃的な罵声を浴びたり
あるいは、新人が初めて電話で技術的なやりとりをする
極度の不安などが引き金になって
体調を崩してしまう人が一定数いる。
そのたびに心を痛め、改善策を探り、
できればまた健康な状態で仕事が続けられるよう
毎回毎回奔走して来たが、
絵梨ちゃんの場合は、
根本的に違うものだ…とはっきり悟った。
もっと深く、もっと暗い深淵のような精神の闇だ。。
あれがダメだったんだろうか?
これに原因があっただろうか? と、
彼女が休んでいる間中、
少し自分を責めていたが、
逆に、その気持ちが消えて心が身軽になる。
人間なんてゲンキンな動物だ。。。
同時に業務社員としての判断が走る。
さてこの先どうしようか。。。