人は相手が非を認めるとなぜかとてもうれしい

 

今日は、
妙に幸せな気分になって、
満たされたような思いで、
夕方の台所に立ちました。

 

理由は、仕事先の人が、
「先の自分メールは、
確かに間違っていた。
すみません。」と、
誠実に謝って来てくれたから。

 

ある会社にプレゼン的な資料を出したら、
「弊社に関する記述について、
ここが間違っている」
というご指摘のメールが来たんです。

 

でも、その内容って、
その方が、実際に、
自分で話したものなんですよ?

 

私は相手先が専門的な業種で、
打合せでも初めて聞くような名前の
部門名やプロジェクト名一杯が出てきて、
相互の関係性が非常にわかりにくいときは、
お断りしてICレコーダーに録らせてもらうんです。

 

先方から今回、
「間違っている」と指摘された項目も、
相手が実際に話してくれたことで、
初めて知り得た時系列であり、
それを「間違い」と言われるのは不本意で、
納得できない思いを残しながら、
書き換えたパワーポイントを再送しました。

 

先方の担当者は穏やかな常識人なので、
訂正の指摘も、申し訳なさそうな文面でしたが、
だとすると、真実は何なんだろう?
先方の言う通り、
この会社さんの創業が平成だったら、
古い社屋も、年号に由来していると伺った
昭和〇〇という社名も、
絶対、辻褄合わないよね?

 

・・・と、いうことを、
「だから勘違いした」というお詫びの中に、
さりげなく込めて返信をしたら、すぐに、
「すみません、ぷらたなすさんの言う通りでした!」
という、胸のつかえがとれるメールが着信。

 

どうやら、自分で正しいことを話しておきながら、
あらためて他人の資料を読んだ段階で、
2012年(平成24年)と、昭和12年を、
間違えたみたいです。

 

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当社の創業は2012年ですので、
そこだけ直して再度ご提出ください
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んなわけないじゃん、やっぱりねー(笑)

 

なにがどう間違って、脳内変換されたのか、
私にはよくわかりませんが、
真実と正しさが同時にわかって、
えがった、えがった。

 

それにしても、人は、
相手が非を認めると、
どうしてもこうも、
幸せな気持ちになるのでしょう?

 

人に褒められるよりもずっとうれしいのは、
人間はことほどさように、
他人に自分の真実をわかってほしく、
事実と異なる認識や、
間違った誤解は、
本当にされたくない動物なんだろうなぁ、
と、思います。

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